ゆうの人生山あり谷あり

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【離婚話】戸建購入土地契約後、2カ月で離婚を決行。我慢をせずに離婚したわけ。

こんにちわ!ゆうです。ブログの内容をガラッと変えて帰ってきました。

私にとって今までの人生は【後悔をしたくない】この一点で過ぎて行きました。

もちろん後悔をしたことがない!なんてそんな訳はありません。

しかし、自分の望まない未来を避ける選択はしてきました。

自分では当たり前の選択は、世間では難しい選択であるという自覚もあります。

選択は出来ないかもしれないけれど、同じように悩んだ私がいるよ。

ここで私はこういう選択をしていまはこうなんだよ、そんなことを発信していきたいと思います。

 

 

離婚へのきっかけ

 

まず始めに、私の前の夫はギャンブルにハマっていたわけでも、タバコを吸うわけでも、暴力を振るうわけでも、浮気するわけでもありません。

ただ一つ、私が気になっていたのは【他人を思いやることが出来ない】ことです。

相手の気持ちに立って、こうされたら、こう言われたらどう思うんだろう。という思考が全くできない人でした。

一人目の子供が生まれた際は1LDKに住んでいたが、寝室との仕切りがあるものの薄いすりガラスのような扉が一枚。

そんな状態で深夜まで趣味のゲームや動画サイトをパソコンに向かって楽しむ夫に、どんどんストレスが溜まっていったのです。

イヤホンはしたくないと、パソコンの音量は部屋中に響き、明かりは寝室までダダ漏れです。

子供がなかなか寝ない時、私は発狂した時もありました。

初めての子育ては、そのくらい孤独で辛く、大変なものでした。

料理も洗いものもしないくせに、子供の写真をSNSに上げて、イクメンを語っている姿にも心底腹が立ちました。

女は家事と子育てをするもんだ、これは昔からの良い文句かもしれませんが、現代は共働きが当たりまえ、むしろ女も働かないといけない経済状況なのに権利ばかり主張するな。これがいまの私の考えです。

この当時の私は、このどうにもならないイライラの発散方法がわからず、いつも辛かった気がします。

 

そんな中、私はストレスに耐えかねて実家(県外)に家出します。

 

気遣ってあげられなくてごめんね、一緒に頑張ろう。

 

そんな言葉を期待していたのかもしれません。

これで私の辛さを分かってくれるはず、私の気持ちを聞いてくれるはず。

 

しかしその予想は大きく外れました。

 

離婚するよ。

実家に帰って1カ月、ほとんど連絡は取りませんでしたは取りませんでした。

結婚してまだ1年とみたない私は、毎日モヤモヤと過ごしていました。

なんで?どうして?

と相手の行動が理解できませんでした。

これが価値観の違いというものだったんだろうな、と今の私なら冷静に分析します。笑

もういい加減帰って話をしなくては、と家に戻ることにしました。

 

家の最寄りの駅に着くと、彼は嫌そうに迎えに来ました。

その後、元気だった?などたわいのない話を切り出した気がします。

 

今後どうするのか

 

私は一ヶ月間モヤモヤし続けた、核心をついた質問をすると、

彼はケロッとした顔で、

 

「離婚するよ。」

 

そう言い放ちました。

ああ、私の気持ちは聞いてくれないんだ、どうしてこうなったのか理解しようともしないんだ。

サーっと冷静になった自分がいました。

再三、「本当に離婚するんだね?」と聞くと、スマホをいじりながら「うん。」

と返答する彼の姿を見て、私も疲れてしまいました。

 

もう離婚するんだ

 

そう理解した私は、実の親と夫の親に離婚する旨を連絡しました。

すると夫は焦ったように、

 

えっ、本当に離婚するわけ?!

冗談だったのに!!!!

お前がそう言って、どういう反応するのか試したんだよ。

 

そう言ったのを、もう6年以上も前の話ですが鮮明に覚えています。

それくらい、衝撃的で、理解できない、離婚を即決できた彼の人間性を悟った出来事でもありました。

 

第二子誕生と戸建購入

その後は、根気強く彼に

「ありがとう」「ごめんなさい」を言えるように教えていくことに必死でした。

決して自分が悪いと認められない人だったからです。

やはり、結婚した以上、彼と天寿を全うするべきと私自身思っていたのです。

こんな彼と付き合っていけるのは私しかいない。

こんな風に、自分自身悲劇のヒロインのようになってしまっていたのかもしれません。

第二子も生まれ、家も寝室が完全に別れた2DKに引っ越しました。

やはり一緒に生活をしていく上で価値観の違いや、理解の出来ない行動、言葉は沢山ありましたが、私は、

 

【何か問題が起きたら、話し合えばいい。後戻りできないなんてことはない。】

 

と考えていたので、なんとかやってこれました。

そして、いよいよ戸建を購入し、将来の準備をしようということになったのです。

 

人生の買い物は、これからの人生と向かい合わせてくれる。

大きな住宅展示場に通うのはとても楽しかったです。

注文住宅にすることに決めたので、間取りはほぼ私の理想通りに仕上がっていきました。

夫自身、多少書斎等の要望はあれど、ほぼ私に決めさせてくれたのです。

しかし、打ち合わせが進むにつれて、

夫はキッズスペースで寝ころんで昼寝したり、ゲームをしたりと全く参加しないようになりました。

私が間取りを決めているとはいえ、一緒に住む家にまったく興味がないようでした。

 

「お前がほとんど決めているんだから、俺はいらないじゃん。」

 

そうかもしれない、私だけでも事足りるかもしれない。

だけど、一緒に打ち合わせに来ているのに、

担当者さんが一生懸命説明をしてくれているのに、隣のキッズスペースで昼寝をしている夫をみると、悲しみや怒りよりも、冷たい感情がサーっと流れていく感覚でした。

そして、ここで数千万単位の買い物をしたら、

もう後戻りはできなくなる。そう、強制的に今の現状と向き合わせてくれる大きなきっかけともなりました。

 

離婚しよう。

打ち合わせが終わった後、私は無言で車に向かいました。

数時間打ち合わせをしていた私と、昼寝やゲームを楽しんでいた夫。

運転席に向かうでもなく、まっすぐ助手席に向かう夫を見て決意し、

車に乗った瞬間に、

 

「離婚しよう。」

 

そう言い放っていました。

 

一言、疲れたでしょ、運転代わるよ。

一言、打ち合わせお疲れ様でした。

 

そんな言葉が欲しかった。

まっすぐ助手席に向かって寝る体勢をとった夫との未来を描けなくなりました。

限界だったのです。もっと想いやってほしかった、もっと考えてほしかった。

もっと大切にしてほしかった。

 

夫は幼稚で、短気です。

そう言われて、逆上するのは目に見えていました。

 

「運転してほしいならそういえばいいじゃん!」

「お前がどっちにいくのか見てたんだよ。」

「いいよ、もう離婚で!」

 

私を否定する言葉が次々と出てきましたが、私はもうスッキリしていました。

きっかけはあれど、沢山の要因でこうなったから、後悔も悩みもありませんでした。

 

そこからは離婚するまで早かったです。

 

離婚すると言い放った夫ですが、前回同様次の日には離婚拒否をしてきました。

 

「明確な理由がない以上離婚はできない。」

 

そう言ってくるであろうことも、長年の結婚生活でわかっていました。

でも私の気持ちは固く決まっていたので、

冷静に話し続けました。

 

最後は、泣きながら

 

「もう私を解放してください…。」

 

そう言ったら、折れてくれました。

泣きながらのこのセリフも身振りも、全て彼を熟知したうえでの演技でした。

 

彼はわからないでしょう、私の気持ちなんて。

私は貴方の気持ちも、考えも全て分かっているんだよ。

それだけ、相手を考え続けた厚みが違うんだよ。

 

きっとこの気持ちは一生彼には届かないでしょうが(笑)

 

離婚を決意して2カ月

最初にいうと、私はかなり運が良いと思います。

私はずっと扶養内のパートをしていたため、貯金なんてものはなく(彼はお金を管理されることを嫌い、貯金は全くできていない状態だった。)、離婚した後生活出来るのかという不安は当然ありました。

 

当時働いていた勤務先の専務に事情を説明すると、なんと正社員登用と社宅の提供を提案してくれたのです。

そんな支えがあり、離婚を切り出してから2週間で家を引っ越し、手続きなどのタイミングを見計らって2カ月で離婚しました。

 

シングルマザーに国は非常に優しいな、と痛感しました。

月々手取り17万弱と4カ月に一度の子供手当(約8万)と扶養手当(約20万)。

夫と暮らしていたときより、沢山貯金できました。(振り込み口座が世帯主のため、子供手当も全て夫が使いこんでいた。)

離婚をしたいけれど、子供がいるから踏みきれない…。

そんな方も必ず貰える額を確認してほしいです。

正社員のほうが離婚へのハードルは低いのかもしれませんが、扶養内勤務のほうが国から貰える手当が大きい可能性が高いです。(前年度の収入から計算されるため)

私は、離婚をして初めて子供のために貯金をすることが出来ました。

 

感想

文章で書くと結構さらさらと進んでいるように感じるかもしれませんが、離婚を決意するまで、何度もケンカをし、話し合いをし、

夫自身、家事をするようになったりと良い変化もありました。

しかしそれでも離婚を決意した大きな部分は、

変えられない根本的な性格

です。

ケンカをするたびに、変わるから一緒に変わろう

こう言い続けてきました。

夫だけが悪いんじゃない、トラブルが起きるということは二人どちらにも悪いところがあるからだと思うから。

意識した部分は治るかもしれない、けれど思いやりというものは、意識してするものではなく自然と出るもの。

些細な言動がずっと引っかかっていたのだと思います。

そして私の中で明確に結婚に対する理想があり、

 

【おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で笑い合っていける夫婦になりたい】

 

これがイメージ出来なくなってしまったのが大きいです。

土地契約も済んでおり、違約金も200万発生してしまう状況でしたが、

私は離婚する道を選びました。

そして今は再婚し、おじいちゃんおばあちゃんになっても笑い合っていけると確信できる夫と一緒に暮らしています。

また、私に幸せを感じさせてくれてありがとうと、心から涙させてくれた人です。

この話は、また別のブログで書こうと思います。

 

離婚は、子供でも親でも、旦那でもなく自分自身で決めることです。

自分の人生です。

私は、子供も夫も一人の人間として尊重しているからこそ、離婚に対する不安も後悔もありませんでした。

今、離婚で悩んでいる人。

夫と暮らしていける自信がない人、自分の気持ちに素直になって

素直になってから、周りの問題を一ずつ解決していってほしいです。

我慢することは、誰かのためにすることではないです。

自分の人生は自分で守っていくしかないのだから。